東北大震災医療支援記録@
(H23年4月14日〜17日


宮城県、災害医療コーディネーターが大活躍

災害対策本部と医療機関の連携を密に
石巻の被災者 希望を胸に明るく助け合い

NPO法人 医療・福祉ネットワーク千葉
理事長 竜 崇正

医療支援の様子


倒壊した家々 
倒壊した家々
 避難所となった体育館
避難所体育館



日本登山医学会と協力して、継続的に石巻の医療支援を行うこととした。以下はその参加記録である。

4月14日(木)

午後650分東西線浦安駅にて、成田検疫所の上家和子医師と待ち合わせ、東北自動車道を北上。9時に上河内SAにて防衛医大の伊藤正孝医師と宮崎尚子健康運動指導士と合流。東北自動車道路は大地震のためか、でこぼこしているが安全走行で030分菅生SA着。伊藤医師、上家医師のテント2張りで就寝。


4月15日(金)

 晴れ。午前5時20分起床。5時40分出発。三陸道路で河北インターから一般道路へ。北上町へは北上川沿いではなく、津山から南三陸方面に向かい、山を越え追分温泉経由で災害対策本部のある「にっこりサンパーク」に近接した北上中学校に8時に到着した。待っていた島田和明さん(芦屋市、プロ山岳ガイド)と本部の保健師の浅野友梨さんに会い、今日の予定の指示を受ける。
 
  まず島田ガイドの案内で、吉浜避難所の「はまぎく」へ向かった。今野さんという女性責任者と会い、本日夕食の炊き出し、とその後の予定について相談した。その後、島田ガイドの案内で、白浜避難所、小泊自宅避難所、小室大室避難所、相川避難所、小泊自宅避難所、大指避難所、小滝避難所を訪問した。各避難所は時間制限の自家発電でガスはプロパンであったが、食料や飲料などの支援物資も十分なようだった。大指避難所は、島田ガイドが拠点にしている場所で、若い家族を中心とした結束の強い避難所のように見えた。10時から島田グループの大場鍼灸師が避難者への治療を行うとのことで、ここで島田ガイドとは別行動となった。

 
  高台にある白河パーキングにて休憩し昼食をとった。ここは島田ガイドお勧めの北上川河口を見下ろせる絶景の場所である。今夜はここを幕営地と決め、持参した支援物資を整理した。

午後は(竜、宮崎)チームと(上家、伊藤)チームに分かれて行動することとした。

(竜、宮崎)チームは、午前に訪問した避難所(長観寺、白浜、小泊1、小室大室、相川、小泊2、大指、小滝)をもう一度回り、医療支援ニーズや必要支援物資について調査した。医療に関しては、登山医学会のもう一つの支援隊である恵比寿山の診療所の斎藤医師グループが週1回の診療に廻っていることから、我々への医療受診希望は無く、相川避難所で左示指を包丁で怪我した方の診察を行ったのみであった。




 医療支援の様子
   医療支援の様子




 ブルーシート診療所
   ブルーシートで囲った診療所


セルフケア運動に取り組むみなさん 
セルフケア運動の指導 


相川避難所で、持参したハンドクリームや化粧水、ウエットティッシュなどを、大指避難所でハンドクリーム、下着、生理用品などを寄贈した。各避難所には食料や飲料水などとりあえずの生活必需品は確保されているようで、我々の持参した物品に対する追加寄贈の要望はなかった。むしろ同行した、宮崎健康運動指導士による、廃様症候群による肺炎などの予防治療が有効と思われた。

330分「はまぎく」で、島田さんグループの白馬から来た本田幸恵さん(幸ちゃん、ガイドアシスタント)をリーダーとする炊き出しの手伝いを行った。昨日は豆乳鍋の炊き出しで、1カ月ぶりの肉に避難所の方は皆大喜びだったとのこと。今回は、宮崎さんの料理でボルシチを大鍋3杯作成した。幸ちゃんはシーチキンとニラサラダ、大根サラダなど作成。避難所アイドルの小学4年の「みな」ちゃんも、玉ネギ切りなどお手伝い。後から島田ガイド、大場鍼灸師も合流して食事の準備をした。

 (上家・伊藤チーム)は、石巻日赤の医師でもある宮城県災害医療コーディネーターの石井正医師と医療支援の内容を協議するために雄勝に向かった。雄勝のあまりの惨状に言葉も出ないほどの衝撃を受けたようだ。石巻市立病院はじめ多くの医療機関が被災している結果、石巻日赤に患者が殺到していることから、石巻日赤の救急の一次診療を担当することになった。災害医療コーディネーターは宮城県が昨年設けた災害防御システムで、宮城県知事が任命し「権限」を持っている。石井先生は気仙沼から石巻までを担当している。石井先生の指示により、上家チームは石巻日赤に向かい、我々4人の診療参加登録を行った後に「はまぎく」に合流した。

夕方4時半から3回に分けて「はまぎく」で炊き出しの夕食を提供した。ボルシチも絶品であったが、幸ちゃん作の生ニラ入りシーチキンサラダも絶品であり、夜のテント場での酒の肴にと、追加料理を密かに依頼した。

食後の6時半から15分間、宮崎健康運動指導士の指導による、ボールを使った廃用症候群予防のための、セルフケア運動を行った。腰痛持ちの私にも実に気持ち良い運動であった。全員笑顔で参加し、大好評であった。

7時半に白浜幕営地に戻り、満月と満天の星空の下で生ニラ入りシーチキンサラダと、被災地の方が造った海藻サラダに牛タンなどを肴に、ワインや日本酒で宴会した。久しぶりに見た天の川のきれいだったこと。




竜医師と運動指導士の方
運動指導士の方と一緒に
石巻市内
石巻市内
倒壊した建物
大きな建物も倒壊した

                 

                 




4月16日(土)

 曇りのち小雨。今日は石巻日赤に近い、河北インター近くの道の駅「上品の郷」で幕営することにした。

 午前:竜・宮崎チームは雄勝地区を視察し、上家・伊藤チームは石巻市内、石巻専修大学を視察後、道の駅「上品の郷」で合流し、夕方まで休憩。17時から24時まで、石巻日赤病院の一次救急(イエローゾーン)を支援した。イエローゾーンは検診センターを利用したもので、3つの診察ブース10床の処置ベッド、4台の電子カルテ端末がおかれた比較的広いスペースである。当日は東京厚生年金病院、長野日赤、安曇野日赤の医師7−8名と看護師10数名が勤務していた。イエローゾーンの医師や看護師は全員支援者のため、最も古い(といっても1週間以内の)医師がローテート表などを作成して引き継いでおり、対策本部や院内医師は全く関与していない。二次医療が必要な患者は、石巻日赤病院スタッフが担当するレッドゾーンに廻ることになる。はじめて顔を合わせる異なった病院からの混成チームであるが、実にチームワークよく手際よく適切な医療が行われているのに感心した。これはお互いが協力して聞いたり、確認し合って医療を行っているためである。患者さんも実に辛抱強く順番を待っていて、日本は素晴らしいと、やたら感動した。私はがれき撤去で負傷したアメリカ兵の右小指第二関節脱臼骨折をキシロカイン麻酔後に牽引整復固定し、実に30数年ぶりの整形外科的治療を手際よく?行った。24時までに、3名の医師で5名の患者を診察した。

 1時、幕営地に戻り就寝。

幕営地
拠点とした幕営地
水際のがれきの様子
水際は津波で跡かたもなく破壊された
がれき撤去の様子
 がれきの撤去作業
                   


4月17日(日)

 快晴。朝6時起床

 4名での協議の結果、日赤病院の一次診療支援に加え、避難所での病気予防のための健康運動指導も重要であると結論した。宮崎が避難所で今後活動できるようにすることを目的に、竜、宮崎は北上川左岸沿いの道で北上の総合対策本部「にっこりサンパーク」向かい、朝8に斎藤健太郎医師を中心とした恵比寿山の診療所一行の4名と、朝日新聞の近藤幸夫記者と行動を共にすることとした。彼らと小滝公民館の避難所へ向かう。宮崎は小滝公民館で集まった20名程度の被災者にボールを用いた健康体操を指導。みな楽しそうに体を動かし、特に車椅子の女性の方や3人のお子さんも楽しく参加してくれた。その後往診から戻った斎藤医師の診察に協力し、腰痛の方は斎藤医師の指示で、宮崎健康運動指導士が腰痛体操をした。竜が夜に浦安で用があるので、13時に斎藤チームと別れ、帰路につき、20時に浦安に到着した。

上家・伊藤チームは、8時から13時まで石巻日赤病院イエローゾーンを支援した。この日の日勤帯には上家・伊藤チーム以外に各地の日赤病院等から派遣された医師4名が勤務していた。この時間内に伊藤と上家の2名で12名の患者を診療した。この12名の患者の内訳は、急性上気道炎6名、胃腸炎1名、手指のしびれ1名、肛門周囲膿瘍切開後の包交1名、釘による足底の刺創に対する消毒と破傷風トキソイド注射1名、低血圧によるめまい、その他であった。上家・伊藤チームも21時過ぎに無事帰京した。


               

わりに

宮城県では災害医療コーディネーターシステムが機能しているのに感心した。宮城県知事が任命するもので、県内をいくつかのブロックに分け、ブロック内で大災害が発生したらコーディネーターが権限を持って県や市の災害対策本部や医療機関との調整をするものであり、先駆的な取り組みである。45歳と若いけれども力のあるコーディネーターが専任で適切な指示をしていたように思う。我々も石井コーディネーターの指示により、石巻にとって必要な医療支援の一翼を担うことができた。見習いたいシステムである。

  壊滅状態の石巻の被災者は実に明るく助け合っていた。被災者の、地域を愛し、この地域の仲間を大事にする思いが、切ないほど伝わってきた。壊れた船を修理してすぐにでも漁に出たいと語る方にも会った。この地域住民の希望に沿っての産業再生と自立しか、この大震災から復興できる道はないと痛感した。それには莫大なお金がかかる。自粛していては絶対に復興できない、それほどの惨禍である。日本の経済発展なくしては東日本大震災の復興は不可能であろう。私は千葉や東京では自粛することなく金を使い、医療者として石巻日赤病院のサポートと、被災者の病気予防にこれからも小さな力を注ぎたい。


さくら

 竜 崇正

 日本登山医学会会員、医療構想千葉代表、浦安ふじみクリニック院長