東北大震災医療支援記録B

宮城県石巻市
診療所や病院が機能停止、診療体制が崩壊
現地の医師、看護師も被災者

土曜夜と日曜の診療を長期間サポートへ
医療ボランティアグループ発足

NPO法人 医療・福祉ネットワーク千葉
理事長  竜 崇正


 石巻は北上川河口に面した旧市街と、北上町、雄勝町、女川町などを合わせた市であり、全国有数の漁港でもある。今回の大震災では、422日時点での死亡2698名、家族から届け出のあった行方不明者2770人、避難者14780名、住宅約28000棟全壊という、最も被害の大きかった地域である。実に被災死亡者13232人、行方不明者14550人の約2割を石巻市が占めている。

 基幹病院は石巻日赤病院(402床、26診療科)と石巻市立病院(206床、14診療科)である。旧市内にあった石巻市立病院は港に立地していて被災して機能を消失し、旧市庁舎に仮設診療所をおいて再来の投薬のみ再開している状況である。地域医療を支える開業診療所は、旧石巻市内地区で内科13院が診療を再開したが、すべて日曜休診のほか、午前のみなど短時間診療が多い。9院がかかりつけの投薬のみの制限診療、他の診療科でも14院が診療、3院が制限診療を開始している。しかし旧市内以外の4地区のうち2地区ではそれぞれ3院が短時間ながら診療再開したが、他の2地区は避難所内での仮設診療所でという状況である。

 




石巻周辺の地図

がれきに埋まった学校

がれきが撤去されて見えてきた学校


 北上地区は漁業を中心として生活する部落に分かれており、避難者数2600人が避難所に分散して生活をしている。災害対策本部のある北上中学校内には医師1名に加えて愛媛県からのサポート医師で仮設診療所を維持しているのみである。このため、被災当初から日曜日に東京恵比寿にある「山の診療所」院長の斎藤健太郎医師が、登山医学会医療支援チームとしてこの避難所を巡回診療して地域住民の健康維持にあたっており、17日の午前に同行したが、彼は地域被災住民から厚い信頼を得ていた。

 宮城県では2010年から大規模災害に備えて県内を6ブロックに分け、それぞれに知事が任命する医療コーディネーターを置き、権限を持って行政、警察、自衛隊、消防、各医療組織との調整を行っている。気仙から石巻地区は、日赤の石井正医師が県内6番目の災害医療コーディネーターとなって、調整にあたっていた。避難所の救護所は、石井コーディネーターの指示のもと、自治体や公的病院グループからの組織的な派遣医師や看護師が中心となった石巻圏合同医療チームとしてカバーされていた。石巻日赤の一次診療支援のため1週間交代で来ている他の地域の日赤病院や厚生年金病院の医療スタッフも、週1日程度避難所支援をしており、こちらの希望者も多いとのこと。眼科については別途、巡回診療体制が敷かれ、有効に機能していた。こういった状況から避難所に関しての医療はほぼカバーされており、これ以上の診療支援の必要がないようにみえた。








  復興が急がれる石巻など被災地。がれきの撤去など、まだまだ作業はこれからである。
 


開業医を中心とする一般医療提供体制の崩壊と市立病院の機能停止により、本来重症患者のみ担当するはずの石巻日赤には、一次救急患者も殺到しており、特に休前日準夜帯と日曜休日は患者が倍増している。このため、二次救急以上の重症は院内の救急医が「レッドゾーン」で診療、一次は「イエローゾーン」として外部支援医師、支援看護師のみで診療する体制がとられている。

  イエローゾーンは院内一次救急という「地味な」役割のため、全国からの支援医師は担当を希望せず、日赤本部チームとして全国の日赤病院から派遣された医師、看護師、および、厚生年金病院チームが専ら担当している。日赤チームは院内の会議室に折りたたみのビーチ用ベッドや屋外テントで1週間逗留、厚生年金チームは病院から片道1時間かかる大崎市の宿泊施設に1週間逗留、ということで、とくに深夜に近い準夜帯勤務は過酷になっている。

 我々が土曜準夜および日曜日勤前半を手伝っただけでも大変感謝され、今後も定期的な応援が期待されていると思う。病院スタッフは自らも被災して大変疲れており、長期戦を想定しての診療体制を考えなければならない。そのような意味では、定期的な医師や看護師を派遣できるボランテイアグループが必要であり、我々の役割もそこにあると思われる。土曜準夜(17時〜24)および日曜日勤前半(8時〜概ね13)の支援であれば、ボランテイアも日常勤務の傍ら、1泊2日でサポートできるので、長期にわたり継続できるのではと考える。当然のことながら、衣食住を自立できることが条件である。現状では被災のため近くに宿泊施設を確保できないので、当分の間は車内かテントなどによる宿泊が必要である。皆様のご支援をお願いしたい。