「長崎被ばく柿の木2世」千葉市美術館前ですくすく成長ー命の大切にする生き方を伝える伝道師。今、平和を守るために伝えたい大切なこと

ご存じですか?「柿の木プロジェクト」
長崎で被爆し、生き残った柿の木の2世が千葉市にもやってきた
現代美術作家・宮島達男氏の作品展開催をきっかけに
命の大切さ、平和への思いを今、そして後世に伝える

当NPO法人のホームページ「ステイin千葉」コーナーでも良く登場する千葉市美術館に、「長崎被ばく柿の木2世」が植えられていることをご存じですか。植樹は2022年2月19日に行われました。遡ること77年…1945年8月、広島と長崎に落とされた原爆。何万人もの人が爆風に吹き飛ばされ、火傷を負い、亡くなりました。人間だけでなく、動物も植物も、一瞬にして命を絶たれ破壊されました。長崎の焼け野原に残された数本の柿の木。爆心地に近い町で、その柿の木は半身を焼け焦がされ、幹をえぐられた状態でも奇跡的に命をつないで、50年間も生き延びていたそうです。その柿の木は、樹木医・海老沼正幸さんによって治療を施され、実をつけるまでになりました。その種を育てた2世の苗木が千葉にもやってきたのです。

長崎で被爆した柿の木の2世苗木。千葉市美術館前ですくすく成長している。

きっかけは、現代美術作家・宮島達男さんによる千葉市美術館でのリニューアルオープン・開館25周年記念の企画展「宮島達男クロニクル1995-2020」。宮島さんは、樹木医・海老沼さんによる柿の木の治療や、育苗の話を知り、共感し、アートを通じて原爆と向き合うことを決意したそうです。「柿の木を通じて人々の平和への意識を開き、人間の善性を開く。善性を開いて、アートへの意識を開く」との思いを胸に、展覧会や作品展を通じて全国、全世界へと柿の木プロジェクトを届ける活動を続けています。

2022年、奇しくもロシアによるウクライナ軍事侵攻に直面している我々。コロナ禍をきっかけに、全世界が力を合わせて立ち向かう道筋を見つけたかのようにみえた時間は何だったのか…。分断と戦争を目の当たりにし、虚しい思いがぬぐえません。そんな中でも、日々すくすくと成長し、青い葉を増やしていく柿の木2世のたくましい姿を見ると、平和への願いが実を結ぶ日を目指して一歩ずつ前に進んでいくしかないと背中を押されているような気持ちになります。

そして、命の大切さと尊さを伝える柿の木2世は、日々病気と闘う患者さんやご家族、そして治療に携わる医療者にとっても、目に見える形でそのメッセージを発信し、エネルギーを与えてくれているように思います。

 

時の蘇生 柿の木プロジェクトとは(千葉市美術館ホームページ「体験・学び」より)

「時の蘇生・柿の木プロジェクト」は、現代美術作家・宮島達男が作品制作のリサーチのために長崎に訪れ、樹木医の海老沼正幸との出会いをきっかけに、1996年から開始されたプロジェクトです。「被爆柿の木二世」の苗木を世界中に植樹し、育てることを通して、子ども達と一緒に「平和」、「命の大切さ」、「人間の生き方」について考える機会となることを目指しています。これまで世界26ヶ国、320ヶ所以上に植樹が行われ、国内では幼稚園や小・中学校、公園、美術館など、さまざまな場所で実施されてきました。

千葉市美術館では、千葉市美術館拡張リニューアルオープン・開館25周年記念の企画展として開催した「宮島達男 クロニクル1995−2020」にあわせて、「時の蘇生・柿の木プロジェクト」を実施し、この度、柿の木の植樹式を行うこととなりました。「時の蘇生・柿の木プロジェクト」は毎年のワークショップの実施など、10年間にわたり継続していくことを計画しています。美術館に植樹された木を皆で育て見守りながら、多くの参加者と平和への思いを共有し育んでいけることを願っています。
時の蘇生・柿の木プロジェクトについて

「時の蘇生・柿の木プロジェクト」を紹介した本

経緯や内容について詳しく書かれています。世界中に植えられた「柿の木2世」を通して、平和を願う一冊です。

「柿の木プロジェクト」をスタートさせた宮島達男氏

1957年東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。1980年代より、LEDのデジタル・カウンターを用いた作品の制作を開始、1987年に3つのコンセプト「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」を発表。1988年「第43回ヴェネツィア・ビエンナーレ」アぺルト部門で注目を集め、1999年「第48回ヴェネツィア・ビエンナーレ」など、国内外の展覧会に多数参加。「時の蘇生・柿の木プロジェェクト」をはじめ、アートと社会をつなぐプロジェクトも行う。2006–2016年東北芸術工科大学副学長。2012–2016年京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)副学長。