手術、シンプルな手技に人種差も感じる
       プラクティショナルナースの権限と働きが印象的
       日本人医師の現地での活躍に刺激        

            千葉県循環器病センター 
             医療局長 松尾 浩三



 


  11月9日に成田空港を出発し、シカゴオヘア空港に現地時間9日午前7時頃に到着した。アメリカに到着した高揚感の中で、初対面の人も多く簡単な自己紹介をして顔と名前を一致させた後、タクシーでホテルまで移動した。アメリカのタクシーは全く曲者でメーターがあって無いような料金にこの後何度も悩まされた。

  ホテルは五大湖の一つ、ミシガン湖のほとりにあり街も古いビルと新しい斬新な建物が混在し、美しく独特の景観であった。チェックインをすませて皆で散歩に行き、食事をとった。空気は澄んでいて青空が冴えていた。夜は研修医の木本医師が探してくれたダイニングバーに行き、大きなステーキを注文しビールで乾杯してクリーブランド研修の成功を誓った。

  翌日朝オヘア空港に行くと予定の便に席がない、そもそもその便の運行自体がなくなったと言われ唖然とした。先にタクシーで着いた4人はやや早いフライトでクリーブランドに発つことができたが残り9人はいろいろな時間の便に分散し、私を含めた最後の5人はたった1時間のフライトのために約10時間遅れの便に乗り、深夜12時近くにクリーブランドのホテルに到着した。日本では考えられない不手際も空港職員からあまり謝罪もなかったので大いに憤慨していることを伝えた。しかしホテルでは先発隊が出迎えてくれてチェックインもスムーズにすんだ。

                                                                                           



   クリーブランドの朝は早く、翌11日のまだ暗い6時45分にロビーに集まり、7時にクリニックのホールで全体オリエンテーションを受けた。予想とは違って簡単なガイダンスで三班に分かれて研修することが伝えられた。
                   
寒い手術室で震えながら見学
               連合弁膜症、先天性僧房弁狭窄症の手術など


  私は2名に制限されている手術室見学が予定されていたので千葉大学心臓外科渡邊医師とともに手術室に赴いた。仮のIDカードを渡されて手術室に入り、術衣に着替え、手術室責任者で今回の見学を受け入れてくれたDr. Sabikの手術室で到着を待った。手術室の中は非常に寒く、術衣では全く体が冷えてしまった。患者さんはその中で裸になっているので低体温になってしまうのではないかと心配したが人種差なのかそれは無用の心配のようであった。助手が開胸した後、Dr. Sabikが現れ、連合弁膜症の手術を開始した。体外循環技師は一人で人工心肺のセッティングと操作をしていた。記録はあまり取らず淡々と操作していた。人工心肺が終了するとDr. Sabikは隣の部屋に移動し、すでに準備が整っている冠動脈バイパス術を開始した。あまりoff-pump CABG(人工心肺を使わない冠動脈バイパス術)にこだわることはないようで人工心肺使用下にすばやくバイパスを完成させる方針のようであった。

  私たちが寒さで震えていると外回り看護師が清潔な術衣を手が出ないようにして裏返しに着せてくれ、防寒と術者のすぐ側で見学できるようにしてくれた。どの手技も日本の方法と大きく異なる点はないが、非常にシンプルで左心ベントも挿入することなく心停止状態からあっという間に体外循環を離脱してしまう点はアジア人の患者ではとても耐えられないだろうと考えられるところもあり、人種差が感じられた。冠動脈バイパス術についていた麻酔科医に自己紹介をし、実は自分は先天性心疾患が専門だと言ったら北欧から来たDr. Petterssonが成人先天性を担当しているというので名刺を渡し仲介をお願いした。翌日Dr. Sabikの秘書が私を彼に紹介してくれた。この結果2名までと制限されていた見学が4人までできることになった。その日のDr. Petterssonの手術は先天性僧帽弁狭窄症の再手術であった。癒着が強く時間がかかったが出血のない巧みな手術と感じた。やはり左室ベントをいれないので手技はシンプルであった。

               
術衣裏返しの重ね着で防寒、“みの虫”スタイル

  翌日は研修医の福田医師とDr. Pettersoonの小切開大動脈弁手術を見学した。やはり看護師が清潔な術衣を裏返しに着せてくれてみの虫のような姿で術者の頭側に立った。最初レジデント医がカニュレーションしていたが上手くいかずシニアレジデントに変わったため一心に見学していた福田医師が押し出されてしまったのは残念であった。水曜は若手のDr. Johnstonの手術も見学できた。


 

 


   手術室で日本と最も異なる点はPA(Physician assistant) またはNP(Nurse practitioner)の存在であった。彼らは医師ではなくトレーニングを受けた専門職であるが、バイパス用静脈を採取し、術中の鈎を引き、糸を切るなど医師の助手と同等かそれ以上の働きをしていた。クリニックはそのようなPAがアメリカでも最も多く採用されている施設であるとのことだった。

  Cardiovascular centerが含まれるクリニックの主要な建物はホテルも含めてスカイウオークで結ばれ、外に出ることなく移動が可能になっていた。一つの街が集合体のように機能し全米から集まる患者さんのすべてのケアができるようになっており、その規模とコンセプトにはただただ驚愕であった。


 

 


  14日木曜はリーダーの山口先生のセッティングで福岡出身である深町先生の人工心臓研究施設を見学できた。ラボのスタッフも参加して渡邊医師から千葉大の体外式補助心臓による心不全治療のプレゼンテーションがあり、その後深町先生からクリニックの紹介と人工心臓の歴史、開発中の人工心臓のプレゼンがあった。日本人医師がアメリカで研究費を得て膨大な資金のかかるラボを維持していることに多くの点でインスパイアされた。

  ラボで開発中のポンプを見せてもらった後、スタッフの一人が我々をクリーブランド美術館に案内してくれた。多くの貴重な収蔵品は個人からの寄付であり、無料で公開されていた。その夜は深町先生が最も気に入っているというイタリアンレストランに我々とラボスタッフが集まり、大いに食べ大いに飲み交流を深めた。大変楽しい一夜であった。

 


 

 


  最終日の15日は心不全治療の集中治療室および病棟の見学となった。その規模とシステムには驚くばかりで日本では実現困難ではないかと思われた。最後にホールに集まり一人一人に研修終了書が渡された。それぞれの班が実り多い研修の成果が得られたことに満足感を感じていた。

 

  最後にニューヨークに移動しクリスマスの気分に染められつつあるダウンタウンを当院の進藤さん、齋藤さんと一緒にロックフェラーセンター、タイムズスクエアへと散歩した。タイムズスクエアは人と光で溢れていた。私が以前にアメリカ本土に来たのは二十数年前のことであり、やはりニューヨークに滞在したがあまり良い印象ではなかった。今回のアメリカ研修を通してクリーブランドクリニックという巨大な医療施設の隅々に血液が通っており、患者さんに対して献身的な努力を続けていることを理解することができた。アメリカ人の思考のスケールの大きさと温かさを感じ、私の中のアメリカ観は大きく変わった。このような機会を与えていただき心から感謝しております。