東北大震災医療支援記録F H24年7月28日〜30日 宮城県気仙沼市・本吉病院をサポート 存続の危機乗り越え、県外医師らが団結 新院長、「どんな患者さんも診る」がモットー 看護師らの笑顔に安堵も 津波の爪跡、いまだ濃く 荒地に「でんでんこに(それぞれに)逃げよ」の碑そびえる NPO法人 医療・福祉ネットワーク千葉 理事長 竜 崇正 |
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●本吉病院 常勤医師ら去り、存続の危機 若手医師のNPO組織「Japan Medical Spirits」が支援、再建 NPO法人医療福祉ネットワーク千葉も協力連携 気仙沼市立本吉病院は海岸線から5km入ったところにある38床の2階建ての病院である。人口1万1千人の本吉地区を支えてきた唯一の病院である。 |
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![]() 津波直後の様子 |
![]() 本吉病院の受けた被害 |
![]() 本吉病院再建を伝える記事 |
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●H24年7月28日(土) 気仙沼入り 「どんな患者さんも診る」を信条に 1歳〜89歳まで診察 ロンドン五輪にはらはらしながら…活気ある院内 7月28日(土曜日)東京駅朝7時16分発の新幹線で出発。くりこま高原で下車すると病院が手配した車が待っていた。約1時間走って本吉病院に着いた。4月から常勤として赴任していた斎藤副院長が待っていた。 |
![]() 気仙沼市立本吉病院 |
![]() 1階は浸水したため2階で診察 |
![]() 診察風景 |
●7月29日(日) 夏風邪のお年寄り、高熱の幼児を診察 午後から車で気仙沼市周辺へ 津波、高台まで押し寄せ駅も鉄橋も集落も流す… 石碑が未来への教えを叫ぶ 「津波が来たら、でんでんこに逃げよ」 |
今日も暑い。夏風邪で食事ができないお年寄りや肺炎の方、高熱の幼児など午前中で10数人の患者が来院した。新しく赴任した院長の方針は「とりあえずどんな患者さんも診る」とのこと。診察した結果入院などが必要な場合は、30km離れた気仙沼市立病院に依頼することになっているので、こちらもかなり気が楽である。病院が存続している喜びからか、看護師さんも笑顔で楽しそうに働いている。 午後からは看護師さんの勧めもあり、病院の車で気仙沼市内まで2時間かけてドライブに行った。本吉町は山に囲まれた盆地状の地形の中にあり海との間には小高い山がある。津波が押し寄せる心配は全くないような場所だが、車で町はずれから津谷川沿いの道を海岸に出てみた。川の水量は少ないが広い川を津波がさかのぼって山の背後の本吉町を襲ったのだ。不意を突かれ川沿いの家の多くが流され被害が甚大となったとのこと。小泉川を渡る部分の鉄橋が落ちており、草が生い茂った広々とした荒れ地があった。高台に登るとそこは3000人も住んでいた小泉地区があった場所だと分かった。下の道路からは確認できないが、土台から震災前の街の形がうかがえた。JR気仙沼線の小泉駅も津波で流され痕跡もみられない。
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![]() 3000人が住んでいた小泉地区 |
![]() 津波で大きな被害を受けた |
![]() JR小泉駅も津波で流された |
![]() 「津波の教え」の石碑 |
![]() 「でんでんこに逃げよ」 |
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●海沿いの工場や倉庫も流され 陸に打ち上げられた船もまだ放置 復興いまだ見えず、暗い気持ちに… 本吉病院で交代医師らと盃を交わす 小泉地区から海岸にそって気仙沼市内に向かった。海岸沿いの水産関係の工場や倉庫などもすべて流され、やや高台を通る国道の周囲だけ町がのこっているのみである。気仙沼港には多くの船が接岸している。積み下ろした魚は冷凍庫がないので直ちに搬送される。そのためトラックの交通量は多い。しかし、大島に渡る桟橋はまだ落ちたままである。流されて内陸に運ばれた大きな船もまだ残っている。鹿折唐桑駅周辺は、港の重油タンクが引火して火が及び駅舎も燃えてしまったとのこと。内陸5kmのこの力船を海に戻すのは不可能とのこと。震災後1年4カ月を過ぎた今も、この広大な土地をどのようにするのか決まっていないようである。暗い気持ちになる2時間のドライブだった。 4時頃病院に戻ると、支援でこれから1カ月滞在予定の小林先生が来ていた。私に気をつかって、日曜夜からの当直を担当してくれるとのこと。また、昨年から何回か支援に来ていた北海道岩内の秀家先生が到着した。学会のついでだそうだ。ずいぶんなまわり道だったが、病院職員あげての歓迎会となった。秀家先生は外科医なためか私のことは知っていて、ずいぶんと驚いていた。前の事務課長の鈴木さん持参のアンコウの酢味噌和えが絶品だった。秀家、小林、鈴木さんとも固めの盃を交わした。楽しい楽しい宴会で夜を過ごし、30日の朝一番の新幹線に乗り、午前9時からの浦安での診療に戻った。 医療支援は楽しかったが、被災地をどう復興させるのか、あの広い土地をどのように活用するのか、なにも進んでいない現状に暗い気持ちにもなった気仙沼行きであった。 |
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![]() 港の工場や倉庫も跡形もなく |
![]() 内陸5キロに打ち上げられた船 |
![]() 病院職員らと盃交わす |