31年間、肝臓病患者さんを支え続けた「千葉肝臓友の会」が解散-感謝の気持ちを込めて
平成元年に設立、電話相談から講座開催、国会請願まで
患者さんの「治りたい」に寄り添い、行動する会として
肝臓病の患者会として平成元年に創設された千葉肝臓友の会。役員の高齢化などを理由に令和2年3月末に解散することになりました。会員数は医療・福祉関係者を含めて約600人。ウイルス性感染を中心とするB型、C型肝炎の患者さんやご家族をサポートしようと電話相談や医療講演会、公開講座を開いたり、医療費助成制度や肝炎ウイルス検診体制の充実を求める請願を行うなどの精力的な活動を進めてきました。患者さんに寄り添い、ともに励まし合いながら輪を広げてきた友の会の活動に感謝し、幕引きを惜しむ声は後を絶ちません。
3月には、会報「さわやかさん」の最終記念号(169号)が発行されました。村田充会長をはじめ、会員、元会員をはじめ、顧問の矢野光雄先生、医療、福祉、行政関係者からのメッセージが掲載されています。当NPO法人の竜理事長からのメッセージも掲載しています。
当NPO法人では、会の活動を支える助成支援、取材などを通じて村田充会長をはじめ役員、会員の皆さんとの交流を続けてきました。文字通り、平成時代を駆け抜けた千葉肝臓友の会の活動を振り返りながら、患者さんの強い味方、拠り所としての役割を果たしてこられた会の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。
千葉肝臓友の会の活動の柱
①毎週火曜、金曜の電話、メール相談
治療中の患者さんや不安を抱える方にもっとも寄り添う場としての相談活動。JR船橋駅近くの事務所では、毎週火曜、金曜に有志による電話相談を実施しました。メール相談も受け付け、千葉のみならず全国、海外からも相談が寄せられました。治療薬、治療費負担のこと、療養生活のことなど多岐にわたるご相談にも親身になって対応されていました。電話相談は、解散後も継続するとのことです。
千葉肝臓友の会相談電話 090-2565-6125
②年2回の会員交流会
サロン活動の一環として、年2回の会員交流会を開いたほか、会報の発送作業のため事務所に集まった会員や仲間と顔を合わせながら心配ごとや悩みを分かち合う時間を設けてきました。
③国会請願活動
肝硬変、肝がん患者さんへの医療費助成制度の拡充などを国にお願いしてきました。国会請願街頭署名活動を毎年実施し、肝炎患者救済対策を一つ一つ実現してきました。
④肝炎ウイルス検査の受診促進
千葉県庁や市町村役場にも足を運んで、肝炎ウイルス検査・検診拡充の重要性を説明するなどのきめ細かい活動も続けてきました。上限年齢制限の撤廃に向けてはたらきかけ、75%の市町村が年齢制限を撤廃する運びとなりました。また、肝炎コーディネーターの活用についても強調しています。
④市民公開講座、医療講演会の開催
県民の潜在する肝炎患者をいかに早く救済し、早期治療に結び付けられるかを目標に、県内各地で市民公開講座や肝臓病教室などを年間6~10回開ていきました。千葉大学医学部附属病院の先生を講師に招いて、一般市民にも専門的な内容を分かりやすくお話いただきました。肝臓病の診断や治療法、薬のことなどを勉強する良い機会となりました。
⑤会報誌「さわやかさん」の発行
肝臓病市民公開講座での講師の講演の録画・録音を行い、原稿を起こし、その情報を丁寧に掲載してきました。講座に参加できなかった方、肝炎医療コーディネーターにも届け、肝臓病治療の最新情報などを広報してきました。
⑥ホームページでの情報発信
千葉肝臓友の会の篠田省輔副会長が中心となって、会のホームページを執筆、運営。国の制度や、治療法、薬の情報などいち早く網羅し、分かりやすく掲載してきました。このサイトを見れば、肝臓病と治療のことはすべて分かるという充実度で、全国、海外の患者さん、医療者から閲覧があり、一日のアクセスで7千件超え、一カ月のアクセス数8万~10万件の時もあったといいます。
会解散後も、ホームページはしばらく開設を続けるそうです。ご覧ください。
千葉肝臓友の会
千葉肝臓友の会 村田充会長からのメッセージ
皆様には長い間に亘当会をご支援・ご協力を賜り誠にありがとうございました。
不本意ながらこの3月で会を閉めることとなり、大変残念ですがご理解を頂きたく存じます。私の入会は、1992年3月でした。当時インターフェロンのイントロンAを保険認定治療期間の半年間注射しました。注射開始2カ月で血液検査はマイナスとなり期待したのですが6カ月終了後、またリバウンドして元に戻ってしまいました。当時私は長く注射をすればマイナスになると確信して、主治医の千葉大学病院の今関教授に自費での追加治療を申し入れしました。当時の完治率は7%であり週3回の注射でした。1回当たり3万円かかり、先生からは完治する保証は無いから止めた方が良いと言われました。私は「治らない時は、先生の責任にはしません一筆書きますから」と申し上げやっとスタートし、結果3年間に亘実施してマイナスとなり現在に至ります。今関教授には現在も定期的検査でお世話になり有難く感謝しております。
尚、日本は世界保健機構(WHO)から注射針筒の連続使用を止め、使い捨てとする様勧告を受けていましたが、約10年間勧告を無視し使い続けられ、使用を中止したのは1988年でした。全国にはB型C型ウイルス性肝炎患者数は、350万人いると言われて来ました。
当時重要な国会請願活動として、肝炎対策基本法制定に向けての活動がありました。それは、2009年9月頃当時全国薬害肝炎原告団長の山口美智子様と共に衆参両議院の国会議員750名全員に対し、肝炎対策基本法の制定の重要性を訴え、法律の成立へのお願い巡回訪問を実施致した事でした。これに併せこの年の10月下旬頃、明日この基本法の最終文面が決まるとの情報を得て、当時厚生労働委員会の担当責任者であった共産党の高橋千鶴子先生の事務所を、夜7時過ぎに今は故人となりましたが神奈川の肝臓友の会の沖会長と2人で訪問し、前文に蔓延したのは国の責任の文面の挿入をお願い致しました。
結果、前文に「B型及びC型肝炎に係るウイルスへの感染については、国の責めに帰すべき事由によるもたらされ、またはその原因が解明されなかったことによりもたらされたものがある」と入りました。この挿入により、その後の国会請願署名活動等に於いては、厚労省に対しても肝炎対策議員連盟の先生方にもご理解が得易くなり、請願採択件数も多く頂くようになりました。以前から国会請願署名活動は請願の採択が目標ではなくその先の法律を作らせる事だとも言われてきました。また、皆様と署名板を首から吊り下げ千葉駅前、津田沼駅、柏駅、松戸駅、館山駅前等に立ち街頭署名活動を実施したことなど、懐かしく思い出されます。
最後となりましたが、ご指導を賜りました署先生の皆様、会員・当会運営委員の皆様、長い間のご支援・ご協力に本当に有難く心から感謝を申し上げます。
NPO法人医療・福祉ネットワーク千葉 竜崇正理事長からのメッセージ
「千葉肝臓友の会の閉会に寄せて」
千葉肝臓友の会が32年の活動に幕を降ろすことになったと聞きました。50年前は、肝臓病は生活態度の悪い酒飲みの病気だと思われてきました。
やくざに肝臓病が多かったことから、「肝臓の悪い方は社会の厄介者」というイメージを持たれていました。その後肝臓を悪化させる原因はウイルスであることがわかってきました。
私は千葉大学附属病院外科で肝臓がんの治療を開始し、国立がんセンター東病院、千葉県がんセンターと一貫して、治りにくい肝胆膵がんの外科治療に取り組んできました。45年位前から日本ではリアルタイムの超音波診断装置が開発導入されました。それまで漠然と診断されていた肝臓病が、直接目で見て映像で、慢性肝炎、肝硬変、脂肪肝などがはっきり診断出来る様になりました。「しこり」として触ることができるようにならないと診断できなかった肝臓がんも、転移が小さなうちに診断できるようになりました。5㎝以下の大きさを最小がんとしていたのですが、やがてそれが2㎝以下となったくらいに、肝臓がんの診断は進歩しました。切除可能な肝臓がんが多く診断されるようになり、術中超音波検査を駆使して系統的に肝切除ができるようになり、私も日本トップの肝臓外科医として注目されるようになりました。千葉大学内科で開発されたエタノール注入療法やラジオ波凝固療法などの内科的な肝がん治療法も開発されるようになりました。現在では「肝臓がん=絶望」の時代は終わりを迎えました。
肝硬変の死亡原因は肝不全だけではなく、食道静脈瘤や胃潰瘍からの出血でした。しかし、それも食道静脈瘤に対する手術や、内視鏡的硬化療法などが開発され、出血で死ぬことは極めて少なくなっています。さらにはC型肝炎ウイルスを直接駆除することも出来る様になりました。C型肝炎ウイルスに感染すると、慢性肝炎から肝硬変、肝臓がんになっていたのですが、インターフェロンや最近肝炎治療薬の登場によりC型肝炎ウイルスを完全に除去できる様になりました。C型肝炎がこの世から消える時代が迎えられるようになったのです。B型肝炎も怖くない時代になりました。
この様な肝臓病の目覚ましい発展の中、患者会の果たした役割は大きいものがありました。患者さんに新しい情報を与えて、正しい治療に導き、また患者さんの為に、国の種々の補助を引き出し、患者さんを側面から支えていました。特に村田さんを中心とした「千葉肝臓友の会」の果たした貢献は誠に大きいものがあったと思います。
ここに肝臓病克服の為に共に戦った同志の「千葉肝臓友の会」の皆様に深甚なる敬意と感謝をささげたいと思います。ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。