【東日本大震災・医療支援】Dr.竜の医療支援記録⑤_2011.7.23~7.24_津波に飲まれた海辺の町・雄勝。震災から4カ月、人影なく荒れ果てる

7月23日(土)

7月23日から24日にかけて、石巻日赤の医療支援に行った。まず千葉県がんセンターの看護師さん3人と、車で千葉を出発し一路東北自動車道路を北上し石巻へ。観光の車も多かったが、各高速道路出口近辺では、料金支払いゲートに並ぶ料金免除の被災者の車が本線まではみ出すための渋滞となっていた。これほどの被災者が車で出歩いているのかと、少し疑問に思った。昼に石巻の道の駅「上品の郷」で昼食をとり休憩。この道の駅も観光客と思われる人達で賑わっていた。

准夜勤務まで時間があったので、4月に訪れて、あまりの凄惨さに涙した雄勝町を再び尋ねた。石巻市立雄勝病院も津波にのまれ医師が全員亡くなった、最も被害の大きかった場所の一つである。町は全て瓦礫と化し、中にランドセルやカバン、布団、車などが散乱し、遺体を探している多くの方たちを目にした。周囲の山の急斜面に多くの車両が逆さにぶら下がっており、生存者がいるとは信じられないような光景であった。

あれから3か月たっており、瓦礫は整理されて車も片付けられていたが、人影もない広い荒れ地が広がっているだけであった。硯の原料となる良質な黒い石が採れる日本随一の場所で、東宮御所の屋根瓦を提供している地でもある。きれいな海は昔のままだが、昔の活気を取り戻せるのは何時のことかと、暗い気持ちの中、雄勝を後にした。

北上川にかかる雄勝と北上町を結ぶ橋は落ちたままなので、もう一度石巻旧市街に戻り、北上川左岸の道を北上町十三浜に向かった。北上中学校体育館を利用しての避難所と診療所はすでに閉鎖されて静まり返っており、中学校のグランドは仮設住宅と化していた。各集落の瓦礫もだいぶ整理され、道も再舗装され、走りやすくなっていた。若者と子供が多い「大指(おおざし)」では、港は崩壊しているもののノンフィクション作家・山根一真さんが進めている支援プロジェクトのせいもあり、仮設住宅も含めた集落に明るい生活の一端を感じる事ができた。このリアス式海岸にある美しい集落を護って、豊かな海から産業振興をするしかないな、と思いながら上品の郷に戻った。

今年4月訪問時の様子

がれきが散乱。車が逆さになり、布団やランドセル、カバンなど日用品も散らばっていた。遺体を探す方を多く目にした。

 

今年7月訪問時の様子

がれきや車が片付いたが、人影がなく荒れ地が広がっていた。

 

石巻日赤病院の准夜勤
千葉県がんセンター看護師も活躍
無料診療から保険診療に戻る

夕方5時に、石巻日赤病院で明石の開業医の飯村先生と待ち合わせて診療開始である。6月までは無料の診療だったが、保険診療に戻っていた。イエローゾーンの診療場所は、検診センターから中央処置室に移っていた。2階の本部も、駐車場脇のプレハブに移動していた。医療費が発生するために、オーダーする医師、実行する看護師にIDが必要となっていた。何回も診療している私は問題なかったが、事前登録をせずに参加した千葉県がんセンターの看護師にはIDがなかったため、採血や点滴など種々の看護行為ができず、非常に苦労した。

しかし、イエローゾーンは相変わらず各地域の日赤病院からの医師や看護師で運営されているものの、医療者の数がだいぶ少なくったため、石巻日赤のスタッフも加わっての診療体制となっていた。患者の数は全く減らないのに、診療する医師や看護師の数が少なくなかったので、IDがないとはいえ千葉県がんセンターの看護師も大変な戦力になって活躍していたいた。23日土曜日の5時から12時までの準夜帯に来た患者さんは80人で、その1/3の患者さんは小児で、特に夜9時過ぎからは本当に忙しかった。今回はベテラン開業医の飯村先生が参加したので、若い研修医の先生とも協力し合い、忙しながらも楽しく質の高い診療が提供できたと思う。日曜は、朝8時半から13時まで、患者は50人程度とやや少なかったが、石巻の整形外科の開業医も加わっての診療となった。准夜勤と日勤を連続して働いたのは、今回は我々だけだった。

石巻日赤病院の救急部長の石橋先生からは、患者は多すぎて減る気配は全くないので、イエローゾーンへの医療支援はとても助かっているとのことであった。

2日間の診療での疲れを取るべく、私は途中で福島の矢吹の温泉でのんびり一泊して帰った。千葉県がんセンターの看護師は翌日の勤務に支障がないよう、仙台から新幹線で帰り、飯村先生は仙台空港から飛行機で帰った。疲れたが充実した2日間であった。

 

千葉県がんセンター看護師・黒髪博子さんの記録
「医療スタッフ、初対面でもチームワーク」

東日本大震災から4カ月後の7月に宮城県石巻市の石巻赤十字医療センターに支援看護師として参加しました。看護師として支援活動に参加するのは今回が初めてで、チームの一員として活動ができるのか不安を抱えつつ現地入りしました。石巻市に到着した直後、特に被害の大きかった地域に足を運びました。実際に津波の傷跡を目の当たりにすると報道では知っていましたが大きな衝撃を受けました。

今回私たち支援チームは、夜間診療に参加しました。診療が始まると夜間診療に訪れる患者さんの多さに驚き、「震災後から症状がひどくなって…」という声も多く聞かれたことが印象に残っています。診療チームとしても初対面のスタッフが多い中、協力して診療にあたることができ同じ目的を持ったスタッフならではのチームワークだったのではないかと思いました。

まだまだ、余震が続いている現状で、自分たち医療者ができることは何かを考えつつ、継続し安定した医療支援が行われることを願います。そして何よりも被災された方々が一日でも早く笑顔を取り戻されることを祈っています。