【どこでもマイカルテ研究会】2011.7.7 第3回どこでもMYカルテ研究会開催。災害時に切れ目のない医療情報管理を。東日本大震災、一瞬で波にのまれたカルテ情報。

第3回どこでもマイカルテ研究会
2011年7月7日
東日本大震災、一瞬で津波にのみこまれたカルテ情報
災害時に切れ目のない医療情報管理を

患者さんがカルテ情報を自身で管理する仕組みを検討する「どこでもMYカルテ研究会」(後援:NPO法人医療構想・千葉、NPO法人医療・福祉ネットワーク千葉)の第3回の会合が7月7日、東京都中央区銀座で開かれました。テーマは「災害時における医療・介護情報ネットワーク―東日本大震災復興へ向けて将来医療情報システムを先取りする『どこでもMYカルテ』の実現」。3月11日に発生した東日本大震災で、宮城県や岩手県の被災地では病院や介護施設がまるごと津波にのまれるような事態に直面しており、そんな中で医療や介護の現場がどう対応したのか、災害時にはどのようなシステムが必要なのかを検証しました。講師や参加者からは「災害でたとえ病院やカルテが消えても患者情報が残り、切れ目のない医療、介護の提供ができる仕組み作りが必要」との声があがりました。

病院が壊滅的
カルテ作り、情報収集に追われる

「役場が流されました。すべての医療機関が壊滅し、戸籍、介護保険の情報、カルテ、すべての患者データを失いました」。3月11日の東日本大震災で津波の被害が最も大きかった地域の一つ宮城県南三陸町の災害報告を淡々と語ったのは西澤匡史さん。内科医師で現在、南三陸町医療統括本部本部責任者、宮城県災害医療コーディネーターを務めています。西澤さんが勤める公立志津川病院では、5階まで津波が押し寄せ、109名の入院患者のうち74名が死亡。職員3名も命を落としました。それでも、生き残った患者や引き受けた被災者の手当て、治療で被災直後から医療対応を開始し、避難所を回って情報収集等に追われました。医療スタッフなし、薬なし、医療機器なしの状況から何とか乗り切ってきましたが、患者情報や戸籍情報の収集とバックアップが現在も課題となっています。ここでは保健師が全戸訪問調査し、医療チームによる訪問診療を続けながら情報を集めていると説明しました。

宮城県気仙沼市で介護施設「はまなすの丘」を運営する湖山医療福祉グループ代表の湖山泰成さんは、はまなすの丘は高台にあり津波の被害は免れましたが、避難所として住民を受け入れた経緯を説明しました。電話回線の復旧が遅れる中、必要な支援物資の情報などをホームページを通じてリアルタイムで発信したことが、スピーディーな対応につながったと強調。一方で、きちんとしたカルテ管理ができない中で、入れ替わり訪れる医師に避難者が安心できず一日に何度も順番待ちをして受診したケースもあったといい、「マイカルテの仕組みがあれば、医師同士の連携もスムーズにできて、患者さんの負担も減らせた」と話しました。

全被害の2割を占めた石巻市からは、唯一被害を免れた石巻赤十字病院の救命救急センター長石橋悟さんが多くの被災者や患者を受け入れ、ライフラインが復帰しない間は在宅酸素療法の患者なども抱えたなどの実態を報告しました。

平常時からクラウド型カルテ管理を
緊急時も素早く対応可能

この日飛び入りで報告に参加した医療法人八女発心会理事長の姫野信吉さんは、被災した福島県新地町の医療支援にあたり、クラウド型電子カルテを導入して医療サポートシステムを作った事例を紹介しました。避難所での医師同士の連携、点在する避難所の情報共有、遠隔での症例検討などに活用し、成果を上げられたといいます。導入にあたって、紙のカルテをスキャナーで、処方箋を電子カルテから取り込んでシステムを構築。姫野さんは「避難所ごとにパソコン1台あれば対応可能。申し送り等も1時間もあれば完了する」と話し、クラウドによる管理が災害時、設備が整っていない避難所でも有効であることを強調しました。平常時からこうしたシステムを運用し、活用できるよう訓練を重ねることを提案しました。

続いて総務省、内閣官房の国の立場から、今回の震災の復興計画の中に、医療情報化を位置付けていく方針ついて具体的な取り組みなどが説明されました。総務省情報流通行政局情報流通振興課の馬宮和人さんは、被災地の医療関係者から聞き取り調査した内容を紹介。患者の基本情報が分からず負担が大きかった、過去の既往歴など客観的なデータがなく、患者の話す不確かな情報や要望をうのみにして薬を処方するか迷った、避難所だけではなく仮設住宅や在宅避難者への遠隔医療も不可欠になる―など医療情報のネット上の管理を求める声が多かったといいます。馬宮さんは「地震は日本のどこでも起こりうる災害。国を上げて患者情報をどこでも共有できる仕組み作りを早急につくりたい」と話しました。

内閣官房IT担当室参事官(医療分野)の野口聡さんは、以前から打ち出している医療分野IT戦略の柱の一つ「どこでもMY病院」構想を改めて説明。患者にとって初めて受診に行く病院でも、過去にかかった病気や投薬情報などをネット上で管理できる「かかりつけ医」としての機能だけでなく、今回の震災を経て福島原発事故周辺地域などでは中長期的な住民の健康管理を進めていく蓄積元として整備したいと展望を示しました。野口さんは「高齢化が進む中で、東北地方に限らず医療と介護の連携も必要になってくる。医師やヘルパーなどかかわってくる人すべてが共有できるサービスとして作っていきたい」としました。

最後に科学ジャーナリストでノンフィクション作家の山根一眞さんが「震災は情報空間をどう歪めたか」と題して講演しました。 この日は、行政、医療、介護、IT関連企業、マスコミ関係など約140人が参加しました。